人間禅の歴史

私たちの集まりは「人間禅」といいますが、これは「人間形成の禅」という意味です。昭和24年に設立された団体ですが、いわゆる新興宗教の類ではありません。

 

明治のはじめに山岡鉄舟、中江兆民、高橋泥舟らの有志によって、

白隠禅師よりつづく正しい法脈を継いだ臨済宗鎌倉円覚寺管長の今北洪川老師の下で「両忘会」という在家の人々の座禅修行の会が組織され、活発に活動していました。


この両忘会は、一時期中断を余儀なくされましたが、第二次世界大戦後に円覚寺の釈宗活老師の法嗣の耕雲庵立田英山老大師によって、既成の宗派の弊害から脱皮し、

一般社会人を主体にした、人間形成の禅として、

その名を「人間禅」と改め、再興されました。

 

夏目漱石の「門」という小説の中に、宗介という主人公の修行のお世話を焼いた「宜道」という青年僧が出てきますが、この宜道は、若いころの釈宗活老師をモデルにしていると言われています。

 


現在は、市川市に本部をおき、 

白隠禅師の法脈を嗣いだ師家を中心として北海道から鹿児島まで全国にて本格の修行が行われています。

 

 

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